人間とは、どの時代でも、どの地域でも、
驚くほど自己本位で、未熟で、危うい存在です。
歴史を見れば、
権力は繰り返し自らを正当化し、
大衆は権力の論理の中で従属を学び、
家庭の中でも、親子の間でも、
支配と服従の関係は静かに受け継がれてきました。
私たちは特別ではありません。
私たちもまた、その人類史の延長線上にいる存在です。
だからこそ、まずはここから始めたいのです。
相手を責めるのは、ほどほどにしましょう。
親もまた、未熟な人間です。
その親を育てた祖父母もまた、未熟な人間でした。
それぞれの時代の中で、必死に適応してきただけかもしれません。
しかし――
だからといって、
連鎖をそのまま続ける必要はありません。
人間はどうしようもなさを持っていますが、
私たちは、お互いを一人の独立した人格として尊重する力も持っています。
特に、乳幼児期。
まだ言葉を十分に持たない赤ちゃんは、
周囲の表情や声のトーンから、
「ここは安全か」「ここでは自分を出してよいか」
を学びます。
二歳前後になると、
「イヤ!」と言い始めます。
それは反抗ではなく、
自我の芽生えです。
このとき、
子どもの意見を、
親に対する歯向かいや反発として捉えるのではなく、
一人の人間としての自己表明として受け止めることができたなら、
育つ自我の形は、確実に変わっていきます。
私たちは皆、完全ではありません。
怒ることもあります。
感情的になることもあります。
責任から逃げたくなることもあります。
それでも、
ほんの少しだけ、
子どもの声に耳を傾け、
ときに問い返し、
自由に自己を表現できる場を大切にできたなら、―
そこから、支配でも服従でもない関係が、静かに芽吹いて行きます。
親子でも、お互いが自己の独自性を認め合って、自由なかたちで自己表現し合える関係。
それが、未来への希望の入り口だと、
私は静かに、しかし大きな希望を感じているのです。


コメント